- 2021.01.18
- <カウンセリング> 万策尽きたところからカウンセリングは始まる
いくら考えてもお父さんがお酒を飲むのが悪いんじゃないか。といって私がお父さんのところへ話しに行っても、会ってもくれないし話を聴いてもくれない。もうどうしようもない。それこそ「家庭裁判所へでも行ってくれ」と言いたいところだ。 -実は、そういうところからカウンセリングというのは始まるんです。
だから、われわれの常識とか経験とかで解決できるものは、どんどんやったらいいと思います。怒って治るものなら怒ればいいし、話し合いに行って治るんなら行けばいい。説教して治るのなら説教したらよろしい。してはいけないということはないんです。しかし、説教も話し合いも叱責も効き目がないというときがある。そこからカウンセリングは始まる。そういうふうに思ってほしいですね。
そうするとどうなるか。僕がはじめに言いましたように、まだ「聴く」ということが残っているんですね。いまロールプレイをされた方は、たった1分か2分でしたが、やっぱり聴けなかったですね。聴くのであれば、「あんたは友達のことで悩んでいるんですなあ」と言っていればいいんです。しかし、やってみると、「それだったら、友達を連れて来なさい」と言ってしまう。何か決着をつけようという思いがこちらの心のなかにあるんですね。問題があればそれに決着をつけないといけないという考え、それから何かしてやってここで終わりにしたいという考え。二つながら、こちらの心のなかにあるんです。そうすると、その範囲で決着をつけないといけないと思うから、そういうことを言ってしまうんですね。
あるいは二つ目の例であれば、口先までのぼってきたけれどもそれ以上は言わない。そうすると、あの人はこう言っている、この人はこう言っていると、いろんなことがわかってくる。そこにも、「もう少しわかれば、あるいは全部わかったら私が考えて決着をつけよう」そういう気持ちがあるんですね。ところが僕は思うんですけれども、僕らが本当にカウンセリングをする場合には、決着がわからない。僕もわからないし向こうもわからない。どちらもわからないというところから、カウンセリングというのは始まるんです。だから、これは非常にむずかしいことだと思ってもらわないといけませんね。いわば、いままでだれにもわからなかったことをやるんだというふうに言ってもいいと思うんです。ですから、カウンセリングというのはなかなか教えにくいし、伝えにくいし、こういうものだと言いにくいわけなんですね。
引用図書;河合隼雄:カウンセリング入門:創元社,1998.
- 2021.01.16
- <医療> うつ病を患っている家族への接し方のポイント
休養が第一。叱咤激励は禁句
うつ病の家族に対する接し方には、次のようなポイントがあります。迷ったときに読んで、参考にしてください。
●励ましたり、指示をしすぎない
落ち込んで元気がない本人を見ると、つい元気づけたくなりますが、うつ病の人に励まし言葉は禁句です。
本人は元気になりたくてもなれないことに悩んでいますから、よけいに追いつめる結果になります。また、無気力で、何もしないのを見ると、つい「ああすれば、こうすれば」と言いたくなりますが、指示提案の言葉も禁句です。無気力に見えても、本人はできるだけ無力さを考えないようにしているか、「これではいけない」と気持ちは焦っています。そこに追い討ちをかけるような言葉は、逆効果になります。
●無理に明るくふるまわない
周囲の人は、とかく「せめて私だけでも明るくしていれば」と思い、努力して明るくふるまうことがあります。しかし、「自分が家の中を暗くしている」「自分だけが暗い」と、自分を責めてしまうことがあります。家族は、ふだんと変わらない態度で接してください。
●休養を優先させ、外出を誘わない
「閉じこもっているのは体に毒」と言って、元気づけようと外出や運動をすすめたりすることも厳禁です。気分転換にと食事に連れ出して、「食べなければ元気にならない」と言って食事をすすめても、本人にしてみれば、食べる意欲自体が落ちていることが多く、食べ物のことを考えることができなかったり、あるいは楽しそうに食事をしている周囲の人たちを見て落ち込んでしまうこともあります。
休養中は、何よりもゆっくり休むことを優先して、本人から言い出さない限り、何かするように促すことはありません。
●薬を管理する
うつ病の治療では、処方された薬を指示どおり服用することが重要です。しかし、家族が、知人や友人から「薬なんか飲んで、体によくないのでは」と言われ「薬なんか、どうせ効かない」「止めたほうがいいんじゃない」という気持ちを持って接していると、本人が薬を飲まなくなることがあります。
本人が指示どおりの薬を飲んでいるかチェックするのは家族の大切な役目です。薬を飲んでいるかをさりげなくチェックしながら「効いているんじゃない、調子いいみたいだね」というように、本人が服薬に前向きになれるような環境を作ってあげることが大切です。
●抑うつ状態がひどいとき
家族に「どうしてよいかわからない」「もう、元の自分に戻れないじゃないか」と、悩みや苦しみをもらしたときは、とにかく「大丈夫」「今はつらいけど、絶対に治るから」ということをくり返すだけで十分です。手を握るなどして、いつもそばにいるというメッセージを伝えてください。きっと本人の大きな心の支えになります。
引用図書;西村由貴 監修:うつ 家族はどうしたらよいか:池田書店,2006.
- 2021.01.13
- <心理学> 自分らしさ
私は、この世にひとりでうまれてきた。自分を信じて世界を信じて人を信じて、私はスッポンポンのハダカンボウで生まれてきた。私はありのままの気持ちを思いきりあらわしていた。
いつの間にか私は、愛されたくて、認められたくて、外の鏡に自分を合わせて生きていくようになった。
「強くたくましく育つんだ」
「いい子でね」
「みんな仲良く」
「スリムなボディで」
優等生の私は、いつもがんばる。なんでも完璧にできるのが当たり前。
私は、疲れを感じないフリをしていた。私は辛かった。
私は、ボーッとしたり、遊びたかった。
世話焼きの私は、自分のことを二の次にする。人のために役立つことばかり考える。
私は、自分の不安を感じないフリをしていた。
私は、誰よりも自分に優しくしたかった。
私は、自分の世話をしたかった。
透明人間の私は、目立たないようにスミにいる。迷惑をかけないように、ひっそりと。
私は、いつも、みんなのことを気にしながら見ていた。
私は、みんなの中に入っていきたかった。
私は、友達が欲しかった。
ひょうきんな私は、いつも人を笑わせる。人のこころを和ませるように。
私は、涙を隠していた。
私は、まじめな私も見て欲しかった。
お人形の私は、力なくもたれかかる。かわいがってもらえるように。
私は、自分ひとりでは立てないフリをしていた。
私は、自分の力をあきらめていた。
私は、本当は自分で選んで、自分で決めて、自分から動きたかった。
問題児の私は、いつも問題を起こす。だれかが心配してくれるように。
私は、自分を傷つけた。
私は、自分も他人も傷つけないで、私の優しさを伝えたかった。
私は、自分を認めて欲しくて、愛して欲しくて、自分の一部を演じてきた。
自分を守るために、外の鏡に映して、自分を捻じ曲げた。
気づいたら私は、自分がわからなくなっていた。
でも、それは私のほんの一部分
リアルな私は、限りなく広い、深い。
私は、今まで自分にムリをしてきたぶん、これからきっと新しい自分を見つけていくだろう。
新しい”自分らしさ”に出会えるだろう。
私は、私を何よりも大切にしよう。
私は私。それでいい。
引用図書;八巻香織:ひとりでできるこころの手あて:太郎次郎社エディタス,2020.
「強くあれ」「人を喜ばせよ」「完全であれ」「もっと努力せよ」「急げ」という心への声に、人は駆り立てられている。
- 2021.01.11
- <癒し> 欠点だってあなたの個性
人は誰でも自覚している欠点がある。そしてその欠点に悩んでいることが多い。悩むとまではいかなくても、「これさえなければ」と歯ぎしりする思いは誰にもあるだろう。
しかし、カウンセラーは欠点を欠点とも思わない人間である。ほとんどの場合、その欠点も「その人らしい」ところと感じているし、むしろよいところではないかとさえ思えてくるのである。イジイジしている人を見れば、そのイジイジしているところが(も)いいなあと感じ、「それを直したいんです」などと言われると「それはもったいない」と思ってしまったりする。
長所であれ欠点てあれ、その出所は同じである。どちらも自分のあらわれなのだ。一方を好み一方を憎むのは何か変であろう。それはそれで自分らしさをよく表しているのである。
『ねじ式』『紅い花』などの傑作で名高い漫画家つげ義春氏は、慢性的なうつ症状に苦しんでいる人でもある。ところが、多くの芸術がそうであるように、つげ作品も躁うつという病気から産み出されていることは否定できない。あの夏目漱石も躁うつ病であったと言われている。そういう人は一般的な感性とはまた違った視点や世界観を持ち、それが作品を産み出すもとにもなっているのである。
そして、つけ義春著『つげ義春日記』(講談社)を読むと、うつの人のメンタリティがたいへんにわかりやすく表現されていて興味深い。また専門家が読めば、医師が出している薬の種類までわかる。
『つげ義春日記』は、つげ氏の、やるせなく、意欲のない気分で全編が満たされている読み物である。その中に、彼が友人と会話をしているシーンがある。つけ氏はいつものように愚痴愚痴とした話を延々と続け、友人はそれをずっと黙って聴いている。そして、こう言うのである。
「そうやって愚痴を言ってるときの君がいちばん君らしいね」
それを聞いて、つげ義春はニヤッと笑う。こういう友だちはありがたい。私たちは皆、欠点も含めて自分を丸ごと了解してほしいのである。
引用図書;菅野泰蔵:こころがホッとする考え方:すばる舎,2000.
- 2021.01.09
- <癒し> 他人からどう思われているかが気になるとき
他人からどう思われているかが気になるとき 自分が他人からどう思われているかということは、誰でも気になるものです。
しかし、これはまた、いくら考えてもきりがないことでもあります。
他人と話をしているとき、自分の顔はどう映っているか、相手に不快感を与えていないか、自分の話はつまらないと思われているのではないか、などと考え始めると、頭の中が混乱し、何も話せなくなってしまいます。
人前で緊張してうまく話せないという人は、「話をすること」と「どう思われているかを気にかけること」のふたつを同時に行おうとしてしまっているのです。
このふたつは、相互に影響し合っています。
相手の反応が気になるから、うまく話さなければならないと緊張してしまいますし、うまく話さなければいけないという思いが強いほど、また相手の反応が気になってしまいます。
堂々巡りできりがありません。
互いに影響し合っているものだからこそ、ひとつにまとめて考えればよいのです。
「どう思われるか」ということは、「何を話すか」によってえられる結果です。
つまり、「何を話すか」というひとつのことに集中しさえすれば、それで充分なのです。
人の好みは、さまざまです。ある人からは「明るくはきはきした人」と思われている人が、ある人からは「口やかましくてうっとうしい人」と思われているかもしれません。
ある人から「決断力のある頼もしい人」と思われている人が、別の人からは「強引で身勝手な人」と思われているものです。
「相手がどう思うか」ということは、相手が決めることであり、自分の力の及ぶ範囲ではありません。
「自分がどう思われているかが気になって仕方がない」という人は、まず、「他人から好かれないこともある」という事実をいさぎよく認めなければなりません。
自分だけではなく、人間なら誰にでもありえることで、気にしても仕方のないことなのです。
他人の心を推し量り、他人の立場になって考えることは大切ですが、自分がどう思われているかを気にかけるのは、相手を思いやる優しさではありません。
そんなことをいくら気にかけても、豊かな人間関係は築けないのです。
他人から嫌われることを怖れる人は、自分は他人を嫌うことに罪悪感をもち、嫌いな人のことも好きになるよう精一杯努力しているのかもしれません。
だから、自分が他人によく思われようとしてびくびくと気を遣っているのに、他人が自分を邪険に扱っても平気でいられることが許せないと思ってしまうのです。
「この人はどうも苦手だ」「この人とはどうしてもうまくやっていけない」ということは、誰にでもあるものです。
直接相手を傷つけるのはよくありませんが、心の中で苦手意識をもつことぐらいは、許されるのです。
自分にもそういう気持ちがあるということを認められれば、逆に自分が他人から苦手意識をもたれることがあっても仕方がないと思えるようになります。
気にしても仕方がないことは仕方がないと割り切り、会話をするときは会話に集中し、遊ぶときは遊びに集中すればよいのです。
他人からどう思われるかを気にかけるよりは、はるかによい結果がえられることでしょう。
引用図書;たかたまさひろ:こことがホッとするセラピーブック:大和書房,2006.
- 2021.01.06
- <癒し> 悩みって?
私が「悩む」というのは、どういう状態だろう?
こころがモヤモヤして、わけがわからなくなること。
どちらを選んだらいいかわからなくなること。
こころの奥の苦しさを、だれにも話せなくなること。
こころの中に、いろんな気持ちがぶつかりあうこと。
だれのものでもない一度だけの私だけの人生だから、私は私と仲良く生きていきたい。
けれど、仲良くなれない自分をかかえるときに、私は途方にくれてしまう。
私の中の私が、「もっと、私を生かしてくれ」と主張する。
私が生きようとすればするほど、私はさまざまな悩みを持つ。
だから、悩むというのは、「生きること」なのかもしれない。
悩みを解く鍵は、どこにあるのだろう?
答えはどこにあるのだろう?
悩み苦しむとき、まようとき、こころがゆれるとき、早く答えが欲しくなる。
早くラクになりたいと思う。
だれかが正解を持っているのではないか。
パッと解決してくれる魔法のようなものが、どこかにあるのではないか。
スーパーマンみたいなだれかが空から飛んできて私を救ってくれるのではないか。
そういうときに、私は、天国みたいな世界にあこがれて、「今は地獄だ」と苦しんでいる。
引用図書;八巻香織:ひとりでできるこころの手あて:太郎次郎社エディタス,2020.
- 2021.01.04
- <医療> PTSDの症状
PTSDの症状として見られるものは、主に3つのグループに分けられます。
*再体験症状;トラウマ体験が再体験され続けている
*回避・麻痺症状;トラウマと関連した刺激の持続的回避と全般的な反応性の麻痺
*覚醒亢進症状;トラウマ以前には存在していなかった持続的な覚醒亢進症状
引用図書;水島広子:対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD:創元社,2011.