2019.04.13
<癒し> 哀しみの乗り越え方

 喪失体験をつみ重ねれば、怒りもたくさん蓄積されます。しかし日本人には、建前と本音の乖離を美徳としてしまう傾向があります。そのため建前を大事にするという美学のもとに、周囲に遠慮したり、気を遣いすぎてしまって、お医者さんや私のようなケアする立場の人間にさえ、いい顔をしようとしてしまう。そうして悲しみは、何事もなかったかのように抑え込まれることが多いのです。
 表に出てこなかった悲しみは、そのままになって、そしてまた次に進む。そしてまた別の悲しみを抱えても、また抑え込む。抑え込まれた悲しみは怒りに転じますが、何事もなかったかのように、その怒りのマグマを封じ込めてしまう。怒りを部下にぶつけたり、家族にぶつけたり、飲み屋で上司の悪口をいったりして、いくらか発散させるけれど、日本人の美徳によって怒りをストレートに表現しないので、マグマはどんどん増えてたまっていく。こうして「悲嘆」が蓄積し、ときに、歪められていくことになります。
 病気や自然災害のような場合は、堪え忍ぶしかない、と考えることができます。そこには加害者がいないからです。
 けれどもこれが、事故とか殺人とか、人災と言われるようなケースになると、封印されていたマグマのような感情が、加害者に向かってこのときとばかりワーッと噴出してしまう。
 個々人の個別性や、日本人の独自性ということを抜きにして、悲しみについて考えることはできないのです。

引用図書;高木慶子:哀しみの乗り越え方:角川書店,2011.

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