2019.11.18
<癒し> 遊びをせんとや生まれけむ

 後白河法皇の編んだ日本最古の歌謡集といわれている『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』」に「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけむ、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」という有名な歌謡がある。京都では装束をつけた今様の舞を見ることができる。
 最近でこそあまり見られなくなったが、まこと無心に遊ぶ子供の穢(けが)れのない姿ほど美しいものはない。下校時などふざけあったり、小川の魚を捕まえたり、悪戯をしたものだが、人間だけでなく、動物の本能のようなものなのかもしれない。それは集団での生活力を習得する意味もあったように思うが、今では大人達の見張り番に見守られ、列をつくっての集団登下校で、上級生と下級生の交流も少なくなってしまっているのではないだろうか。学校教育も社会もマニュアル化してしまい、大人も子供もデジタル的に、○と×で面白くない。ファジーと言う「あいまい」「中間」がない。
 茶の湯においても長い歴史の中で道としての約束が多くあるが、この約束は人の通るべき道を示したものが本来の意味するところである。少しは人生の面白き事、遊び心の楽しさ、豊かさも求めてはどうだろうか。本道を外れることなく、少々楽しい道草に「戯れる心のゆとり」を考えてみてはどうだろう。このようなことを写真撮影をしながら感じている。つまり、ボタンを押せば誰でも写せるデジタルカメラより、古いフイルムのアナログカメラの方が深い味つけがあって、失敗もあるが楽しいように思っている。失敗のあるところに進化もあるのではないだろうか。失敗のない人生なんてあるのだろうか。時計は逆廻りはしない。

引用図書;満林俊宏:心のおくすり72服:方丈堂出版,2014.

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