2020.08.31
<癒し> マイナス思考も悪くない

 目の前にジュースが半分入っているコップがある。「半分もある」と思えれば幸福だし、「半分しかない」と思えばちょっとがっかりである。
 一般に、「半分もある」と思うのがポジティブシンキング(プラス思考)というもので、「半分しかない」はネガティブシンキング(マイナス思考)ということになっている。そして、ネガティブはよしなさい、いつでもポジティブでいなさいとよく言われる。
 どこかの医者や心理学者がそんなことを言っているのだろうが、それはあまりにも脳天気な考え方というものである。そんなことは、状況しだいでいくらでも変わるものだからである。
 砂漠の真ん中に置き去りにされ、水筒に半分の水をあるのを「まだ半分もある」などと思う人間は、よほど生きる知恵がない人間なのである。こういうときには、「もう半分しかない」と考えなければ、生き残ることはできない。
 つまり、ネガティブな考え方もときには有効であり、むしろネガティブに考えなければいけないときさえあるのだ。もちろん、悪い考え方だと一方的に決めつけるべきものではないのである。
 人間の性格は、根アカがよくて根クラはよくないと言われるのもこれと一緒だろう。陰と陽、正と邪など、人間、両面備えているのが、バランスがとれていてよろしい。問題は、一方からの見方しかできなくなり、片方を排除してしまうことにあるのだ。
 冬至とはどんな日か? と問われたとき、一年で昼が一番短い日」と答えるのが普通である。しかし、「夜が一番長い日」という答え方もある。どちらも正解なのである。その上で、「一番夜遊びができる日だ。うれしいな」となれば、レベルの高いプラス思考と言えるだろう。

参考図書;菅野泰蔵:こころがホッとする考え方:すばる舎,2000.

2020.08.29
<心理学> 治療の足を引っ張る7つの考え方⑦「すきま時間は活用すべき」?

 最近の傾向の一つとして、「すきま時間の活用」「常にスキルアップ」など、あらゆる時間的空間を利用して自己を向上させよう、というような風潮があるように感じます。健康な人でも、ボーッとすごす時間に罪悪感を抱くような傾向があり、もともと具体的な問題があったわけでもないのにだんだんとうつ病に向かってしまうことすらあります。気分変調性障害(慢性のうつ病)の人にとって、これはもちろん危険な風潮です。ただでさえ、自分は何かすべき努力を怠っているのではないか、という気持ちを持っているのですから、そこを直撃するようなものなのです。
 そのような考え方に翻弄されそうになったときに必ず思い出していただきたいのは、「気分変調性障害の人は、ふつうに暮らしているだけでも努力しすぎているくらいだ」ということです。本来は病気なのですから、病気にエネルギーを使っている分、通常の生活では休息が必要なのです。それなのに、多くのケースで、病気であることを隠して「ふつう」に暮らしているわけですから、すでに働きすぎです。必要なのは、むしろ「もっとすきま時間を増やすこと」です。二重うつ病になっている人に至っては、さらに強く意識して、「何もしないこと」に専念する必要があります。
 特に重要なのは、頭を忙しくしないことです。軽い散歩などはうつ病の治療にプラスの側面もあるのですが、頭の中を忙しくすることには何のプラスもありません。「何かしなければ」という思いに駆られたときにすべきことは、「何かをすること」ではなく、「いや、今は何もしないことが仕事なのだ」と思い出し、頭にも「しばらくボーッとしていなさい」と命じるようにしてください。

引用図書;水島広子:対人関係療法で治す気分変調性障害,創元社2010.

2020.08.26
<心理学> 治療の足を引っ張る7つの考え方⑥「ポジティブ思考!」?

 何事も前向きに、ポジティブに、という「ポジティブ思考」は、以前に比べれば「何かしら問題がある」ということを感じる人も多くなりましたが、気分変調性障害(慢性のうつ病)の人は今でも巻きこまれることが多いものです。
 ポジティブに考えることそのものは悪いことではありませんが、「何事も」ということになると、人間の現実とのずれが問題になってきます。106ページでも書きましたが、ネガティブな感情も、人間には自己防御能力として備わったものです。ある状況においてネガティブな感情を感じることには、意味があるのです。それを「何事も」ということにしてしまうと、人間の現実を否定してしまうことになり、ポジティブになれない自分を責めるなど、新たなストレスを生み出すことになってしまいます。本当のポジティブ思考を目指すのであれば、ネガティブな気持ちになっているということも含めて自分をポジティブに受け入れる形のほうがずっと健康だと思います。
 また、気分変調性障害のときには、病気の症状としてネガティブ思考でいっぱいになります。そういう状況の人に対して「何事もポジティブに」と言うことは、まるで、ひどい頭痛が出る病気の人に対して、「頭痛など感じないように」と言っているのと同じくらいひどいことなのです。これもまた、気分変調性障害にかかっている存在そのものをポジティブに受け入れる、つまり、「気分変調性障害のときにはネガティブに考えてあたりまえだよね」という姿勢でいる方がはるかに前向きです。
 ポジティブ思考そのものが現実に合わないということも問題なのですが、もう一つの問題として、ポジティブ思考を支持している人たちは、他人にもそれを強要する傾向にある、ということがあります。

【症例】
 タカナさんはしばしば不調になっていましたが、何か思いあたることがあるかと聞いても「特にありません」と答えていました。しかし、不調になった当日や前日のできごとを詳しく聞いていくと、「ある友人と会う度に気持ちが落ちこむ」というパターンがあるこどがわかりました。その友人は、タカナさんがネガティブなこどを言う度に、「どうしてそんなにネガティブなの? どうしてそんなにセルフ・イメージが低いの? そんなことだと、できることもできなくなるし、世の中からどんどん取り残されちゃうよ!」とハッパをかけてくるのです。タカナさんは、そう言われると、「本当にそうだ」と思い、落ちこんでしまいます。そして、友人の言うとおりにしたいけれどもできない自分は本当にだめな人間だと思い、絶望的になるのです。
 友人と会うと不調になる、というパターンがわかったため、この状況にどう取り組むかを話し合っていきました。まず、ネガティブに考えるのは、そのほとんどが気分変調性障害という病気のせいであることを確認しました。そして、そんな自分を誰よりも問題だと思っているのはタカナさん自身であるということも確認しました。ですから、「どうして?」とハッパをかけられることは何らかのプラスにつながるわけではなく、自分ができていないことをさらに強調されることになり、調子が悪くなって当然だ、ということも確認しました。
 そのうえで、この友人との関係をどうしたいかを考えてみました。本当は、近寄らないのが一番安全そうでしたが、タカナさんにどって大切な別の友人も一緒に会う習慣があるため、簡単に関係を絶つことはできないようでした。
          *     *     *
 他人との関係をどうするかを考えるうえでは、役割期待の考え方が役に立ちます。自分は相手との間にどのような関係性を期待するか、ということを整理するのです。本当に親しくしたいのであれば、こちらの事情はできるだけ正直に打ち明けたほうがよいでしょう。気分変調性障害という病気にかかっていることも伝え、その治療で必要とされていることに協力してもらうよう頼むのです。しかし、ある部分の関係だけでよいというのであれば、その部分に必要な情報だけを提供すればよいということになります。

【症例】
 タカナさんに、その友人との関係性をどうしたいかを考えてもらいました。結論としては、決して親しくしたいわけではなく、たまに会ったときだけうまくやれればよい、ということでした。そこで、その友人の前ではネガティブなことを言わない、ということにしてみました。病気について打ち明けるということも考えたのですが、そこにも「ポジティブ思考」で突っこんでこられたら自分は耐えられないだろう、とタカナさんは盲いました。それほどのリスクを冒す価値のある相手ではないので、会ったときには表面的な会話をすればよい、ということになりました。そして、できるだけ二人で話しこまないようにすることも決まりました。
 タカナさんの作戦は成功し、その後、その友人から受け取るストレスはぐっと減りました。それと同時に、大切な友人の方には、病気のことを少しずつ打ち明け始めました。
          *     *     *
 タカナさんがやったような「人間関係の序列づけ」のようなことは、一般に、気分変調性障害の人が苦手とすることです。重要な人には全てを話し、そうではない人には表面的なつきあいだけをする、というようなメリハリは、人間として不誠実なことだと思っている人も多いのです。ですから、すべての人によい顔をみせようとして必死で生きています。
 しかし、これは不誠実なことでも傲慢なことでもなく、単に、そのときの相手の状態に合わせた役割期待の設定ということになります。タカナさんの友人は目下、「ポジティブ思考」で頭がいっぱいになっており、それが合わない人を思いやる余裕がないのです。そんな状態に合わせてつきあい方を考えた、というだけのことです。結果としてタカナさんは友人と会ったあとの不調を克服することができましたし、その友人に対する苦手意識すら少し減ったのです。

引用図書;水島広子:対人関係療法で治す気分変調性障害:創元社,2010.

2020.08.24
<心理学> 治療の足を引っ張る7つの考え方⑤「働かざる者食うべからず」?

 気分変調性障害(慢性のうつ病)の人は二重うつ病になりやすく、ほかの併存障害を持っていることも多いため、働けない時期も少なくありません。精神科の患者さんは全般に、働けていない自分を責める傾向にありますが、気分変調性障害の人は特に自分が病気だということを認めにくいため、働けていない自分を「病気だからしかたない」とはなかなか思えないものなのです。
 そんな気持ちと共鳴してしまうのが、「働かざる者食うべからず」という考え方です。ただでさえ自分に厳しい気分変調性障害の人にとって、これほどアピールする思想はないでしょう。「働いていない自分は、生きている価値などないのだ」と容易に思ってしまいます。
 そのような信念を堅く持っている方には、もちろん、病気としての気分変調性障害についてよく学んでもらいます。「働いていない」のではなく「働けない」のだ、と理解してもらうのです。そのうえでもまだ、「でも、誰でも困難を乗り越えて働いているわけだから…」と言う人に対しては、私は、「ご家族やお友達が病気で働けなくなっても、同じように言いますか?」と尋ねることが多いです。家族や友人が病気で働けなくなったときに「働かざる者食うべからず」などと冷たく宣告できる人はまずいません。気分変調性障害の人も、びっくりした様子で、「まさか」と答えます。他人にそう言うことがどれほど冷酷かということを考えれば、自らに「働かざる者食うべからず」という考えを強いていることが同じく冷酷であることがわかります。そんなふうに自分をいじめていたら、治る病気も治らなくなりますし、容易に二重うつ病になってしまいます。
 人間には、健康問題も含めていろいろな事情があるのであり、それがわかっているからこそ、福祉制度をはじめ、いろいろな仕組みが社会には存在しているのです。気分変調性障害の人にそういうことを言うと、「それは本当に困っている人たちのものであって、私はちがいます」と言うことが多いです。これも、同じように仕事ができなくなった家族や友人に同じことを言うか、という観点から尋ねると、「それは本当に困っている人たちのためのものであって、あなたはちがいます」という言葉の無慈悲な響きがわかります。そんなふうに、自分が慢性的に自分をいじめ続けているということに気づいていってもらいます。

引用図書;水島広子:対人関係療法で治す気分変調性障害:創元社,2010.

2020.08.22
<心理学> 治療の足を引っ張る7つの考え方④「愚痴を言うのは弱い証拠」?

 この信念を持っている気分変調性障害(慢性のうつ病)の人はとても多いです。病気によるものでもありますし、身近なところにそういう姿勢の人がいたという場合も多いです。自分の気持ちは自分でコントロールすべきで、愚痴を言うのは自己抑制できない弱い人間だ、ということです。
 でも、第7章でご紹介した、「役割の変化」の乗り越え方を見ていただければ、自分の気持ちを周りの人に話しながら難しい変化を乗り越えるというのは、自己コントロールのための一つのスキルだとすら言えることです。それができないために病気になったり面倒な状況を招いたりしている人がどれほど多いかということを考えると、「愚痴」はむしろ言うべきだと言えるでしょう。
 そもそも、「愚痴」というのも価値判断を含む変な言葉です。人に話を聴いてもらうときには、その目的を明らかにするのもよいやり方です。「今、適応するのが難しい変化に直面しているから、乗り越えられるように、ちょっと話を聴いてくれる?」というふうに頼めば、「愚痴を言う弱い人」とは思われないはずです。それでも嫌がる人には、そもそも話してもろくなことはないでしょう。自分の気持ちは安全な環境で聴いてもらうことが重要だからです。
 また、私の臨床経験からは、「愚痴を言うのは弱い証拠」と言っていたような人ほど、その後のちょっとした変化でバランスを崩して病気になる、という印象があります。「“愚痴を言うのは弱い証拠”と言うのは弱い証拠」というところが、案外本当のところなのではないでしょうか。人に支えてもらいながら困難を乗り越えていく、というのはまちがいなく一つの力です。弱さどころか、ぜひ身につけていきたい力なのです。

引用図書;水島広子対人関係療法で治す気分変調性障害創元社2010.

2020.08.19
<心理学> 治療の足を引っ張る7つの考え方③「努力すれば何でも達成できる」?

 気分変調性障害(慢性のうつ病)の人は、何かができないことを「自分の努力が足りないせいだ」と思うものです。それと共鳴し合うのが、「努力すれば何でも達成できる」という考え方です。「努力すれば何でも達成できる」というのは、ごく限られた状況や短期的な時間枠でやる気を出すための「かけ声」としては効果的でしょうが、決して事実を反映したものではありません。そもそも、本当に努力すれば何でも達成できるのであれば、人間が人間である意味がなくなってしまうでしょう。人間として生きていくということは、生き物としての限界を認めていくということでもあります。私たちに生身の身体がある以上、限界は必ずありますし、その限界の中で私たちは守られています。人生は、それらの限界をどう位置づけるか、ということの連続だと言えます。
 「悲哀のプロセス」をここに応用してみましょう。自分の限界を認められないということは、本当は失っているもの(可能性)を「まだある」と思いこんでいるということです。つまり、「否認」しているということです。実際には可能性がないのだということを認め、その悲しみや無力感に向き合い、そのうえで、「では今できることは何だろうか」という現実に心を開いていくということが必要です。これは小さな「悲哀のプロセス」と言えるでしょう。「努力すれば何でも達成できる」という考え方は、事実に反すると同時に、「今できること」に心を開くことを妨げてしまうものなのです。
 なお、気分変調性障害という病気も現時点での大きな限界の一つです。いずれ治るということと現時点での限界であるということは、矛盾なく両立します。本書の全体が、気分変調性障害の影響を学ぶ目的で書かれていますが、それは、言い換えれば気分変調性障害による限界を学ぶということでもあります。たとえば今、気楽に「ノー」を言えるようになる、というのは、ありえない話です。気分変調性障害という病気にかかっている以上、努力しても達成できないことです。「ノー」が言えない自分を責めるということは、現実の限界を全く認識していないという意味になります。こうして考えてみると、おかしなことだとわかるでしょう。
 限界を認めたうえでこそ、本当に意味のある努力ができます。気分変調性障害という限界の中で努力すべきこととしては、病気の影響をよく学び、自分の感情を肯定し、治療の中で必要とされることを一つひとつ積み重ねていく、ということになるでしょう。

引用図書;水島広子:対人関係療法で治す気分変調性障害:創元社,2010.

2020.08.17
<心理学> 治療の足を引っ張る7つの考え方②「きちんと断ったり自己主張したりできるのが立派な社会人」?

 気分変調性障害(慢性のうつ病)の治療でも、必要な場合には断ったり自己主張したりすることを目指していきはします。でも、「必要な場合には断ったほうが自分が楽になる」ということと、「社会人であれば断れなければならない」ということは、似て非なることです。
 気分変調性障害の人が自分の気持ちを伝えることを学んでいくのは、あくまでも自分の気持ちをよくしていくためであり、病気を治していくためです。そして、その大前提としては「気分変調性障害のときには、自己主張しにくい」という事実があります。病気のために自己主張が難しいけれども、それでも病気をよくするために少しずつ努力していく、というのがそのイメージなのです。
 一方、「社会人であれば断れなければならない」というのは全く別のことを意味します。このような考え方は、ただでさえ自分はだめだと思っている気分変調性障害の人にとって、単に、断れない自分はやはりだめなのだという思いを強めるだけのことになります。このような考え方をしてしまうと、気分変調性障害という病気によって断るのが難しくなっているという視点が抜け落ちてしまい、いつもの悪循環に戻ってしまうだけです。
 対人関係療法は、単なる自己主張のための技法ではありません。①気分変調性障害という病気のためにどれほど自己主張が難しくなっているかをよく学び、②相手との間にどういうやりとりをすると症状にプラスやマイナスがあるのかをよく調べ、③本当に伝えるべきことは何なのかを検討し、④もっとも安全でわかりやすい伝え方を研究する、という一連の大きな流れの中で、本人なりのプロセスを歩んでいくというところが一番の本質です。場合によっては、伝えないという選択肢を選ぶこともあります。大切なのは本人のプロセスであり、「伝えれば治る」という単純な話ではないのです。

引用図書;水島広子:対人関係療法で治す気分変調性障害:創元社,2010.

2020.08.15
<心理学> 治療の足を引っ張る7つの考え方①「病気のせいにするのは“言い訳”だ」?

 気分変調性障害(慢性のうつ病)の人は、「病気」という概念に対してふつうとはちがう意味で抵抗を感じます。ふつうは、「病気扱いされるということは、異常扱いされることだ」という抵抗を感じることが多いのですが、気分変調性障害の人は、「本来は自分の落ち度であるものを病気のせいにするなんて、逃げではないか」という抵抗をむしろ感じるのです。つまり、自分の身に起こっている問題は自業自得であって、病気による不可抗力などではない、と言いたいのです。
 その感じ方と共鳴するのが、「病気のせいにするのは“言い訳”だ」と、病気による影響を認めようとしないタイプの人です。気分変調性障害の人の周囲には、よくそんな人を見つけることがあります。
 これについては、本書の全体が答えとなると思いますが、気分変調性障害が病気だということには学術的な裏づけがあること、「それは言い訳だ」という人たちは決してこの病気の専門家ではないこと、などがわかりやすい根拠です。何しろ医療者ですら、気分変調性障害が治療可能なうつ病だということを知らない人がまだまだ多いのですから、「それは言い訳だ」と言いたがる一般の方がいても不思議はありません。
 私がよく興味深く感じるのは、気分変調性障害という病気について、専門家である私がきちんと説明した後であっても、職場の上司などから「そんなのは病気ではない」などと言われると、あっさりとそちらの言い分に呑まれてしまう人がしばしばいることです。これこそが、気分変調性障害という病をよく描いている現象なのだと言えますが、考えてみればおかしなことです。専門家の言い分と素人の言い分を比較して素人の言い分を信じる、などというバランスの悪いことは、ほかの病気ではまず起こりえないことのはずです。これは、気分変調性障害の人に見識がないという意味ではなく、それほど自分をいじめるような形のものに強く惹きつけられるという、とても苦しい病気なのです。
 それでも治療関係ができてくると、患者さんは「そんなのは病気ではないと言われて、やっぱりそうだ、と思ったのですが、先生にはまたちがうと言われるだろうと思って…」などと言ってくれるようになってきます。治療の足を引っ張る考え方から距離をとってもらうためには、一貫して「気分変調性障害は病気」という姿勢を明確にしている人の存在が必要なのです。
 なお、気分変調性障害の人がよく言うことに、「自分がそんなに重いとは思えない」というものがあります。自分がうつ病であることを認めるところまではいっても、それを「重い」と思えないのです。ですから、休職をしたり、受診のための時間を確保したりするように言うと、「そこまでする必要があるとは思えない」と感じますし、「周りの人に申し訳ない」と感じるのです。その根拠として、「ちゃんと毎日仕事に行けているのだから」というようなことを言う人も多いです。このあたりが、気分変調性障害の治療を難しくする一つの要因になっています。
 すでに述べてきたように、気分変調性障害であること自体が、人生の質を損なう「重い」病気です。二重うつ病ともなると、本当に「重い」のです。それなのに「ちゃんと毎日仕事に行けている」ということは、軽症だという根拠であるどころか、むしろ症状の一つだと言うこともできるのです。具合の悪さを「克服すべき甘え」と感じるのは、典型的なうつ病の症状だからです。
 「ちゃんと毎日仕事に行けているのだから大したことはない」というときに抜け落ちている視点は、「ちゃんと毎日仕事に行けている」という状態を作り出すためにどれほど自らに負担を強いているか、というところです。あらゆるエネルギーをふりしぼってその状態を作っているのに、「ちゃんと毎日仕事に行けている」という表面的な事実だけをもって「大したことはない」と決めつけるのは、気分変調性障害の特徴をそのまま反映したものの見方です。本人がそういう態度でいると、周囲の人たちも「ちゃんと毎日仕事に行けているのだから、まあそんなに心配はないのだろう」と思ってしまうことが多く、なかなか適切な治療を受けられないことになります。

引用図書;水島広子:対人関係療法で治す気分変調性障害:創元社,2010.

2020.08.12
<心理学> うつ病は悪循環を起こす

・うつ病になる人はまじめな人=責任感が強く、できるだけ自分の努力で何とかしようとする人が多い
・うつ病になると、仕事の効率が落ちたり、考えられないような失敗をしたりする = <集中力・思考力の低下>
 → 「うまくいかないこと」が増える
  → 『自分が悪い』という気持ちが強まる = <罪悪感>
   → ますます『もっとがんばらなければ』と思う
    → 実際にもっとがんばる
     → 気力を使う
      → 気力がすり減る
       → うつ病を悪くする
        ⇒ 悪循環

引用図書;水島広子:対人関係療法でなおすうつ病:創元社,2009.

2020.08.10
<名セリフ> 「うまくいかなかったらどうしよう」

 人間は未来のことを考えるときに、
 うまくいったらこうなるということ以外に、
 うまくいかなかったらどうしよう、それどころか、
 どうせうまくいくはずがないといったこともいっしょに
 考えてから、自分のやるべきことを決めてしまう。
 大きな夢を抱けば抱くほど、そうだ。
 そうしてうまくいく確率のほうが低いと決めつけ、
 夢に向けて行動を続けることを、宝くじと同等の
 非常に確率の低いものに投資する行為と見なしてしまう。
 そして結局、夢へ向けての行動をとろうとしない。

引用図書;喜多川泰:君と会えたから……:ディスカヴァー・トゥエンティーワン,2006

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